◇メンデルスゾーンハウス

ドイツ・ライプツィヒのゴールドシュミット通り12番地にあるメンデルスゾーンハウス(博物館)。

 

メンデルスゾーン一家は、この建物が建設された翌年の1845年に最初の借主の一人として引っ越してきました。以来、1847年11月に亡くなるまでこの建物の2階部分に住んでいました。彼が仕事をしていたゲヴァントハウス(オーケストラの専属ホール)の目と鼻の先にある立地の建物です。

 

時を経る間にこの建物の所有者は変わり、改装が繰り返されるなど、「メンデルスゾーンの家」は歴史的な遺産にもかかわらず、その姿を失いつつありました。40年間の歳月を経て荒れ放題になっていたメンデルスゾーンの家を文化遺産として守るために声を上げたのは、ほかでもないマエストロ・クルト・マズーアでした。ドイツのみならず、イギリス、フランス、日本など、世界中の心ある人々からの賛同と寄付の協力を得て、1993年にメンデルスゾーン基金を設立。メンデルスゾーン没後150年にあたる1997年11月4日までに完成させることを目標として、370万マルクを支払って土地と建物を購入し、メンデルスゾーンが住んでいた当時の家を復元するために尽力しました。こうして、この建物は当時の姿を取り戻し、現代を生きる私たちの前に、19世紀後期のビーダーマイヤー様式の建築物としてお披露目されました。

 

現在は博物館として一般に公開され、貴重な歴史的史料の展示、メンデルスゾーンと姉のファニーが当時、この家の応接間で行っていた「日曜コンサート」に倣って、同じ空間でコンサートの提供などを行っています。

◇クルト・マズーア墓地

Kurt Masur

(1927年7月18日~2015年12月19日)

 

ドイツ、ライプツィヒのSüdfriedhofにクルト・マズーア氏のお墓があります(製作:彫刻家/マルクス・グレーザー氏)。

 

クルト氏のレリーフの両側にあるのは、彼が座右の祈りとしていたアッシジの聖フランシスの「平和の祈り」です(右側:英語、左側:ドイツ語)

 

 

アッシジの聖フランシスの祈り

 

主よ、わたしを平和の器とならせてください。

 

憎しみがあるところに愛を

争いがあるところに赦しを

分裂があるところに一致を

疑いのあるところに信仰を

誤りがあるところに真理を

絶望があるところに希望を

闇があるところに光を

悲しみがあるところに喜びを

 

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。

理解されるよりも理解する者に

愛されるよりも愛する者に。

それは、私たちが、自ら与えることによって受け、

赦すことにいよって赦され、

自分のからだをささげて死ぬことによって

とこしえの命を得ることができるからです。

 

 

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メンデルスゾーン基金ホームページを引越ししました。2011.10.1

 

 

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